ここまで3回にわたり、AIと競争戦略について考えてきました。
第1回では、GPT-3.5が人間の起業家に匹敵する事業戦略を生成できることを紹介しました。第2回では、GPT-3.5による事業評価と投資家による評価に中程度の相関があり、AIが戦略を評価する側にも回れることを見ました。
そして第3回では、その二つの能力を組み合わせることで、より多くの選択肢を探し、異なる枠組みから問題を捉え、一人では持てない視点を意思決定に加えるなど、戦略の探索範囲そのものを広げられる可能性を考えました。
ここで、改めて一つの事実に注目してみましょう。
この研究で使われていたAIは、GPT-3.5でした。
論文がStrategy Science誌に掲載されたのは2024年。実験では、現在から見れば数世代前のLLMが使われていました。それでもすでに、人間の起業家と競える戦略を作り、経験豊かな投資家と一定程度一致する評価を行っていたのです。
では、そこからさらにAIが進歩した今、経営者の意思決定はどこまで変わるのでしょうか。
AIが賢くなるだけで、十分なのか
その後、LLMは長い文脈を扱い、複雑な問題を複数の段階に分けて考え、外部の情報やツールを利用する方向へ進歩してきました。一つの経営課題について、以前より多くの情報を読み込み、深く分析することが可能になっています。
しかし、競争戦略という観点から考えると、単純にAIが賢くなれば問題が解決するわけではありません。
なぜなら、競争戦略で必要なのは、与えられた問題に正確に答えることだけではないからです。
既存市場とは違う顧客を狙えないか。現在は強みと思っていない資産を使えないか。業界の常識となっている競争軸そのものを変えられないか。競合が予想外の行動を取ったらどうなるか。あるいは、5年後にはまったく別の市場が生まれているのではないか。
こうした問いには、現在得られる情報から唯一の正解を計算するだけでは答えられません。まだ見えていない可能性を自ら作り出し、探索する必要があります。
つまり、AIの能力には少なくとも二つの方向があります。一つは、与えられた問題をより深く考える能力。もう一つは、考えるべき可能性そのものを、より広く探索する能力です。

より広く深く考えることを、仕組みにできるか
ここからは、私たちハピネスプラネット自身の研究につながります。
ハピネスプラネットでは、意思決定支援AI「FIRA」の基盤技術として、AQI(Algebraic Quantum Intelligence:代数的量子知能)という独自の計算フレームワークを研究・開発しています。
AQIが目指しているのは、AIに単に多くの案を出させることではありません。異なる専門的な視点や考え方を組み合わせながら、似た答えに収束しすぎず、意味のある違いを持った可能性を探索することです。
AQIの詳しい仕組みについては、こちらのコラムで紹介しています。
競争戦略で本当に欲しいのは、「100個」という数そのものではありません。
自分たちが当然だと思っていた前提から外れた案、現在の市場構造からは見えなかった案、異なる専門性が交わることで初めて生まれる案など、意味のある違いを持った可能性です。
通常のLLMに「新規事業のアイデアを100個考えてください」と頼むことはできます。しかし、その100個が似た前提、似た顧客、似たビジネスモデルから生まれていれば、戦略の探索範囲はそれほど広がっていないかもしれません。
ここで重要になるのが、「より多く考えること」と「より違う方向へ考えること」の違いです。
Strategy Scienceの論文でCsaszar氏らは、AIによって戦略のSearch(探索)、Representation(問題の捉え方)、Aggregation(複数の判断の統合)が拡張される可能性を論じました。
FIRAのAQIが目指しているのも、異なる視点を相互作用させながら、探索の範囲を意図的に広げることです。
両者は別々の研究ですが、「AIを一つの答えを返す存在として使うのではなく、人間が考えられる範囲を広げるために使う」という方向には共通するものがあります。
AIは答える存在から、戦略探索を支える存在へ
ここまで来ると、経営におけるAIの姿も少し違って見えてきます。
一般的なAIとの対話では、「経営者が質問し、AIが答える」という1対1の構造になりがちです。
しかしFIRAが目指しているのは、経営者に一つのもっともらしい答えを返すことだけではありません。
一つの経営課題に対して異なる専門性や立場から問いを立て、複数の仮説や戦略を生み出し、それぞれを評価し、必要なら再び探索する。こうした思考のプロセスをAI上につくることで、一人の経営者が一人で考えていたときには到達しにくかったところまで探索する。
それがFIRAの目指している意思決定支援です。
AIは経営者の思考限界を拡張する
この連載では、AIが競争戦略に何をもたらすのかを見てきました。
第1回で確認したのは、GPT-3.5の時点ですでにAIが戦略案を生成できていたことです。第2回では、その戦略を評価することもできると分かりました。そして第3回では、生成と評価を組み合わせることで、競争戦略の探索範囲そのものを広げられる可能性を考えました。
ここで重要なのは、人間一人の認知能力そのものが変わるわけではない、ということです。変わるのは、経営者が意思決定に至るまでに検討できる範囲です。
AIを使えば、より多くの戦略案だけでなく、異なる顧客や競合の視点、普段は疑わない前提、複数の未来シナリオまで検討対象にできます。従来なら時間や人員の制約によって議論に上がらなかった可能性を、競争戦略の候補として俎上に載せられるようになります。
これは、経営者の判断をAIに置き換えることとは違います。
競争戦略では、未来を完全に予測して正解を選ぶことはできません。外部環境は変化し、自社の強みの価値も変わり、競合もこちらの行動に反応します。最後には、不確実性を引き受けながら、どの未来に賭けるかを経営者自身が決めなければなりません。
AIが変えるのは、その決断の前に何を見ることができるかです。
Strategy Scienceの研究が使ったGPT-3.5の時点で、AIはすでに戦略の生成と評価に足を踏み入れていました。そこからAIそのものが進歩し、さらにFIRAのAQIのように戦略の探索範囲を意図的に広げる仕組みが組み合わされれば、競争戦略の立案プロセスはさらに大きく変わる可能性があります。

