はじめに
リモートワークが当たり前になってから、もう数年が経ちました。
私自身も、現在は自宅勤務が中心で、職場に行くのは週に1回程度です。仕事そのものは進められますし、オンライン会議やチャットがあれば、必要な情報交換もできます。けれども、ふとしたときに、少し寂しさを感じることがあります。
これは単なる気分の問題なのでしょうか。あるいは、職場で人と会い、短い会話を交わすことには、私たちが思っている以上に大きな意味があるのでしょうか。
今回は、この問いに関わる研究として、2019年に私たちが発表した論文 “Employees’ Wearable Measure of Face-to-Face Communication Relates to Their Positive Psychological Capital, Well-Being” を紹介します。
参考文献
- Satomi Tsuji, Nobuo Sato, Kazuo Yano, Julie Broad, and Fred Luthans. 2019. Employees’ Wearable Measure of Face-to-Face Communication Relates to Their Positive Psychological Capital, Well-Being. In Proceedings of WI ’19: IEEE/WIC/ACM International Conference on Web Intelligence (WI ’19 Companion), October 14–17, 2019, Thessaloniki, Greece. ACM, New York, NY, USA, 7 pages. https://doi.org/10.1145/3358695.3360923
この研究は、私たちハピネスプラネット社の創業メンバーが日立製作所の研究開発グループに所属していた時期に行ったもので、2019年にギリシャ・テッサロニキで開催された IEEE/WIC/ACM International Conference on Web Intelligence にて発表しました。
本研究の特徴は、「心の資本」という心理学・経営学の概念を、職場での実際の対面コミュニケーションデータと結びつけて分析した点にあります。質問紙で測定される心の状態と、ウェアラブルセンサで測定される職場での行動。この2つを組み合わせることで、職場のつながりと人の前向きさの関係を探ろうとしました。
心の資本(PsyCap)とは何か
本研究で扱った「心の資本」は、英語では Psychological Capital、略して PsyCap (サイキャップ)と呼ばれます。
PsyCapは、ポジティブ組織行動論の代表的な研究者であるFred Luthans教授らによって提唱されてきた概念です。個人が仕事や人生の課題に向き合ううえで持つ、前向きな心理的資源を表します。
PsyCapは、主に4つの要素から構成されます。
1つ目は Hope、希望です。これは、単に「よいことが起きると信じる」という意味ではありません。目標に向かって進む意思を持ち、必要に応じて複数の道筋を見つけようとする力です。
2つ目は Efficacy、効力感です。難しい課題に対しても、自分なら取り組める、自分にはやれる力があると感じられることです。
3つ目は Resilience、レジリエンスです。困難や失敗があっても、そこから立て直し、再び前に進む力です。
4つ目は Optimism、楽観性です。将来に対して、現実を見ながらも前向きな見通しを持てることです。
これらの頭文字を取って、PsyCapの4要素は HERO と呼ばれることもあります。
重要なのは、PsyCapは単なる「性格の明るさ」や「気合い」ではないということです。経営学や心理学の研究では、PsyCapは測定可能であり、また訓練によって育てることができる心理的資源として扱われています。
働く人が困難な課題に直面したとき、「自分には何とかできる」「別の道も探せる」「失敗しても立て直せる」「先には可能性がある」と感じられること。それは、個人のウェルビーイングだけでなく、組織の成果や成長にも関わる重要な要素です。

本研究の問い:「心が強い人」はどのように人と関わっているのか
では、PsyCapが高い人は、職場でどのように過ごしているのでしょうか。
自信があり、前向きで、困難から立ち直れる人というと、一般には「ひとりでも強い人」を想像するかもしれません。自分の中に強い軸があり、他人に頼らず、自力で課題を乗り越えていく人というイメージです。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
もしかすると、PsyCapが高い人とは、孤独に強い人ではなく、必要なときに周囲とつながれる人なのかもしれません。多様な同僚と接点を持ち、短い会話をこまめに交わし、互いに反応し合う対話の中で、自分だけでは見えなかった可能性を見つけているのかもしれません。
本研究で明らかにしようとした問いは、まさにこの点です。
PsyCapが高い従業員は、同僚とどのような対面コミュニケーションをしているのか。
単に長くオフィスにいることと、実際に人と話していることは違うのか。
短い会話や、さまざまな人との接点は、心の資本と関係しているのか。
そして、職場全体としてよりよい状態をつくるためには、どのようなコミュニケーションを促進すればよいのか。
この問いを、質問紙とウェアラブルセンサのデータを組み合わせて検討しました。
名札型センサで職場の対面コミュニケーションを測る
本研究では、製造業の研究部門に所属する52名の従業員に協力いただきました。
この組織では、異分野のコラボレーションによる新事業創生が期待されていました。従業員はメインとなる拠点オフィスに自席を持ちながら、リモートワークも認められていました。現在ほど完全なリモートワークが一般化する前の時期ですが、すでに柔軟な働き方が取り入れられていた職場です。
参加者は4週間、拠点オフィスに滞在している間、名札型のウェアラブルセンサを装着しました。このセンサにより、いつ誰と誰が対面していたのか、どのくらいの時間コミュニケーションしていたのか、さらに対面中の体の動きによってどちらが話し手か双方向のやり取りなのか、が測定できるのです。
また、実験の最終週にPsyCapの質問紙を実施しました。
つまり本研究では、自己申告による心理尺度と、センサによって得られた実際の対面コミュニケーションデータを組み合わせて分析しています。
従来、職場の心理状態や組織行動に関する研究では、質問紙が中心的に用いられてきました。質問紙は非常に重要な方法ですが、人が実際に誰とどれくらい話しているのかを正確に把握することは簡単ではありません。
一方、ウェアラブルセンサを用いることで、コミュニケーションの頻度、継続時間、相手の多様性、双方向性といった行動データを、より客観的に捉えることができます。
この点が、本研究の大きな特徴です。

結果:大事なのは「長くオフィスにいること」ではなかった
まず確認したのは、オフィスに滞在している時間とPsyCapの関係です。
職場で人と会うことが大事だと聞くと、「では、長く出社していればよいのか」と考えがちです。しかし、結果はそう単純ではありませんでした。
分析の結果、オフィス滞在時間とPsyCapの間には、全体として強い関係は見られませんでした。つまり、長くオフィスにいること自体が、心の資本の高さと強く結びついているわけではなかったのです。
一方で、対面コミュニケーションの時間は、PsyCapの複数の項目と関連していました。特に、チームに対するHopeやOptimismとの関係が見られました。
この結果は、単に同じ空間にいることと、実際に人と話すことは違う、ということを示唆しています。
オフィスに長くいるだけでは十分ではありません。そこで誰と接点を持ち、どのようなやりとりが生まれているのかが重要なのです。

出社時間そのものではなく、コミュニケーションの質と量が鍵
多様な人と話すこと、短い会話を重ねること
次に注目したのは、会話する相手の多様性です。
分析の結果、PsyCapが高い従業員は、より多くの相手と対面コミュニケーションをしている傾向がありました。特定の人とだけ長く話すというよりも、複数の同僚と接点を持っていることが特徴として見られたのです。
また、短い会話の回数もPsyCapと関連していました。
これは、職場での何気ない声かけや、短い確認、ちょっとした相談といったコミュニケーションが、単なる雑談以上の意味を持つ可能性を示しています。
私たちは、重要なコミュニケーションというと、長い会議や正式な面談を思い浮かべがちです。しかし、実際の職場では、数分の会話の中で情報が共有され、相手の状態がわかり、困ったときに相談しやすい関係がつくられていきます。
PsyCapが高い人は、このような短い接点を日常的に持っていたのです。
言い換えれば、「前向きに働ける人」は、ひとりで黙々と頑張る人というよりも、周囲との小さな接点を豊かに持っている人だと言えそうです。

強い人は、周囲との小さな接点を豊かに持つ人である
双方向の対話が持つ意味
さらに、本研究では会話の双方向性にも注目しました。
一方的に話すだけ、一方的に聞くだけではなく、互いに反応し合う対話がどれくらいあるのか。この双方向のコミュニケーション時間も、PsyCapと関連していました。
これは重要な点です。
職場でのコミュニケーションは、単に情報を伝達するだけではありません。相手の反応を受け取り、自分の考えを調整し、相手からのフィードバックを得ることで、新しい視点に気づくことがあります。
困難な課題に向き合うときも、誰かと話すことで「別のやり方があるかもしれない」と思えたり、「自分だけが困っているわけではない」と感じられたりします。
このような双方向のやりとりが、HopeやOptimismといった心の資本に関係しているということがわかりました。
もちろん、この研究だけで「双方向の会話がPsyCapを高める」と因果関係を断定することはできません。もともとPsyCapが高い人が、より積極的に周囲と対話している可能性もあります。
それでも、PsyCapと双方向の対話に関係が見られたことは、職場づくりを考えるうえで大きな示唆を持っています。
人は“ひとりで強い”のではなく、“つながりの中で強くなる”
この研究から見えてくるのは、心の資本は個人の内面だけで完結するものではないかもしれない、ということです。
PsyCapが高い人は、自分ひとりの力で困難を乗り越えているというよりも、周囲との関係の中で、前向きに考える材料や選択肢を得ている可能性があります。
多様な人と話すこと。
短い会話をこまめに重ねること。
一方通行ではなく、互いに反応し合う対話を持つこと。
これらは一見、職場では当たり前の些細な行動に見えます。しかし、その積み重ねが、「何とかできるかもしれない」「別の道があるかもしれない」「困ったときは相談できる」という感覚を支えているのかもしれません。
この意味で、心の資本は「個人の中に閉じた資本」ではなく、「人との関係の中で育まれる資本」として捉えることができます。
特に、チームに対するHopeやOptimismとの関係が見られた点は興味深い結果です。個人としての自信だけではなく、「このチームなら何とかできる」「この職場には可能性がある」と感じられること。その感覚は、日々の対面コミュニケーションと深く関わっている可能性があります。
ハイブリッドワーク時代への示唆
この研究は2019年、コロナ禍以前に発表されたものです。
その後、私たちの働き方は大きく変わりました。リモートワークやハイブリッドワークは、多くの組織にとって当たり前の選択肢になりました。
だからこそ、いま改めてこの研究を読み返す意味があると感じています。
本研究が示唆しているのは、「とにかく出社すればよい」という単純な話ではありません。実際、オフィス滞在時間そのものは、PsyCapと強く関係していませんでした。
重要なのは、出社している時間の長さではなく、その時間の中でどのような接点が生まれているかです。
出社しても、誰とも話さずに一日中個人作業をしているだけなら、この研究が示唆する価値は十分に生まれないかもしれません。反対に、短い時間の出社であっても、多様な人と接点を持ち、互いに反応し合う対話が生まれるなら、その時間には大きな意味があると言えそうです。
ハイブリッドワーク時代に問うべきなのは、「出社かリモートか」だけではありません。
何のために会うのか、会ったときに、どのような会話が生まれているのか、ふだん接点の少ない人とも、自然にあいさつできる職場になっているのか。チームのHopeやOptimismを支えるような会話のキャッチボールができているか。
これらを考えることが、これからの職場づくりには重要になるでしょう。

本研究の限界
本研究にはいくつかの限界があります。
対象者は52名で、特定の製造業研究部門に限られているため、結果をすべての職場にそのまま一般化することはできません。また、センサで測定できるのは対面コミュニケーションの相手、時間、頻度、双方向性などであり、会話の内容まではわかりません。さらに、本研究は相関関係の分析であり、対面コミュニケーションとPsyCapの因果関係を断定するものではありません。
それでも、質問紙で測定される心理的資本と、ウェアラブルセンサで測定される実際の職場行動を結びつけた点に、本研究の意義があります。見えにくい心の状態を、日々の行動データと合わせて捉えることで、よりよい職場づくりに向けた新しい視点が得られる可能性があります。
おわりに
この論文には、印象に残っているエピソードがあります。PsyCapを提唱されたFred Luthans先生に原稿の確認をお願いしたところ、数日のうちに非常に丁寧な修正を入れて返してくださいました。世界的に著名な研究者でありながら、研究への誠実な姿勢とフットワークの軽さに強く印象を受けました。
この研究を発表したのは、ギリシャのテッサロニキで開催された学会でした。歴史ある海辺の町を歩きながら、古くから人間にとって重要だった「人と会い、話すこと」の意味を、新しいテクノロジーで捉え直す研究を発表していることに、不思議なつながりを感じたことを覚えています。
人は、ひとりで強くあれるのでしょうか。毎日の生活の中での偶然の出会いや人との関わりが、私たちを少しずつ強くしてくれているのかもしれません。
私たちはこれからも、職場の中にある見えにくいつながりをデータで捉え、人がよりよく働くための知見として社会に還元していきたいと考えています。




