データの時代に再評価される人間の「勘」
AIとデータ分析が急速に進化する現代において、経営者が頼るべきはデータだけではありません。膨大な数値や指標が示す「合理的な答え」は、過去の延長線上での最適解にすぎない場合があります。市場の変化が速く、前例が役に立たない時代には、意思決定の鍵を握るのは「感じ取る力」――すなわち直感です。優れた経営者は、情報が完全に揃わない状況でも的確な判断を下すことができます。その背景には、経験に基づいて形成された「無意識の知」があります。こうした経営者の直感は「思いつき」ではなく、理性と感情の統合によって生まれる高度な判断形式と考えられています。直感はデータ分析を否定するものではなく、それを超えて全体像を見渡す「もう一つの認知能力」なのです。
今回のコラムでは、経営者と直感、そして直感を活かすためのAIとの付き合い方について、2本の論文を紹介します。
参考文献
- Sadler-Smith, E. & Shefy, E. (2004). The Intuitive Executive: Understanding and Applying ‘Gut Feel’ in Decision-Making. Academy of Management Executive, 18(4), 76–91.
- Jarrahi, M. H. (2018). Artificial Intelligence and the Future of Work: Human–AI Symbiosis in Organizational Decision Making. Business Horizons, 61(4), 577–586.
経験と感情が統合された知としての直感
1つ目は、経営者の直感についての世界トップの経営学会が発行する論文誌、Academy of Management Executive に発表された論文です[1]。
直感は、長期的な経験を通じて形成された暗黙知(tacit knowledge)を、無意識下で統合して判断に転化する能力です。論理思考のように手順を意識しなくても、過去の経験に基づいて素早く的確な結論を導くことができます。神経科学の観点からも、直感は脳の合理的判断とは異なる経路で生じます。アントニオ・ダマシオの「ソマティック・マーカー仮説」は、身体的な感覚が意思決定に重要な役割を果たすことを示しました。危険な選択肢を引く直前に、被験者が無意識に発汗するという実験結果はよく知られています。これは、身体が過去の学習経験を記憶し、状況の危険信号を先に察知しているということです。経営判断でも同じ現象が見られます。経験豊富なリーダーは、資料を細部まで読み込まなくても、プレゼンテーションの冒頭数分で「これは違う」と感じ取ることがあります。それは非科学的な勘ではなく、長年の実務経験が身体感覚を通して形成した「感情を伴う知」の働きなのです。

直感の精度を左右するのは経験の深さ
直感の信頼性は、経験の量と質によって大きく異なります。熟練者の直感は、長年にわたり積み重ねられた試行錯誤と学びの結果として成立しています。膨大な経験が脳内に「認知スキーマ」として蓄積され、似た状況を無意識に照合することができるためです。逆に、経験の浅い人の直感は、感情的な衝動や思い込みに左右されやすくなります。Sadler-Smith & Shefy は「直感は十分な知識と経験の基盤があるときにのみ、信頼できる情報処理の形態となる」と指摘しています[1]。したがって、直感を鍛えるには単に「感じ取る」練習をするのではなく、失敗を含む多様な経験を通じて、意思決定の裏づけを身体化することが重要です。熟練者の直感が優れているのは、理論ではなく「数えきれない現場体験」を経て形成されているからです。直感は生得的な才能ではなく、実践の積み重ねから生まれる「時間をかけて熟成された知」なのです。
AI時代における直感の再定義
では、生成AIが業務に入ってくると、経営者の仕事はどのように変わるのでしょうか。
2本目の論文では、人間とAIのそれぞれの強みを活かした働き方が提案されています。
まず、AIと人間の補完関係をより明確に整理するために、組織意思決定における三つの課題、不確実性(Uncertainty)、複雑性(Complexity)、そして多義性(Equivocality)についてAIと人間の強みを整理したのが次の表です。
| 課題 | 概要 | AIの強み | 人間の強み |
|---|---|---|---|
| Uncertainty(不確実性) | 情報が不足し先が見えない状況 | データ解析・予測分析 | 経験知・洞察・創造的判断 |
| Complexity(複雑性) | 多要因が絡み合う構造的問題 | 膨大な演算と関係分析 | 問題設定・意味づけ・構想力 |
| Equivocality(多義性) | 利害や価値観が異なり解釈が分かれる状況 | 感情分析・情報統合 | 共感・交渉力・物語形成 |
つまり、AIは複雑性に強く、人間は不確実性や多義性の処理に優れているということです。AIは、「過去の膨大なデータから、いま最も確からしい答えを導き出す力」に優れています。統計的な規則性を見つけ、パターンを抽出し、複雑な因果関係を解析する点では、人間よりはるかに高い精度を発揮します。クレジットスコアリング、需要予測、レコメンドなど、過去データが豊富で評価指標が明確な領域では、AIの判断は個々人の経験に基づく直感よりも安定しており、誤差も小さくなります。ここでのAIの強みは、「既に起きたこと」を大量に学習し、「その延長線上で最適な判断をすること」にあります。
一方で、経営の現場で本当に難しいのは、「過去の延長では測れない変化」にどう向き合うかです。AIは「何を目的に最適化するか」「どの結果に意味があるか」を判断することはできません。そこには依然として人間の直感と価値判断が必要です。Jarrahi は次のように述べています。
“AI helps humans overcome complexity through analytical mastery, but humans remain indispensable in dealing with uncertainty and equivocality.”
(AIは複雑性を克服する助けとなるが、不確実性や多義性を扱うのは依然として人間である)[2]
新しい市場が立ち上がる瞬間、社会の価値観が揺れ動く局面、技術の進歩によって前提が書き換わるタイミングなど、データの延長だけでは正解が定まらない場面が必ず訪れます。このとき必要になるのが、「まだ誰も知らない正しさを感じ取る力」としての直感です。これは、統計的にもっともらしい選択肢ではなく、「今この組織や社会にとって、何が本当に意味のある一歩か」を感じ取る能力です。そこには、経験から培われた感覚だけでなく、倫理観や価値観、組織の文脈、人間同士の関係といった、データ化しにくい要素がすべて織り込まれています。

AIは「過去の多数決」を計算することはできても、「まだラベルもついていない変化にどう意味づけするか」を判断することはできません。逆に言えば、AIの出す答えは「過去から導ける最も確からしい平均値」であり、その平均の外側にあるチャンスやリスクを感じ取ることができるのは、人間の直感だけです。経営者の仕事は、AIの出力に従うことではなく、それを参照しつつ「この平均から、どこまで意図的に外れるか」を決めることです。
AI時代における直感の役割は、「データに反する感覚を押し通すこと」ではありません。むしろ、AIが可視化する複雑な情報を踏まえたうえで、「それでもなお、どこに賭けるのか」「どの価値を優先するのか」を選び取ることです。AIが過去を集約し、「ここまでなら安全だ」と示すとき、直感は一歩先の可能性や、まだ言語化されていない違和感を捉えます。AIが「過去由来の確からしさ」を提供し、人間の直感が「未来に向けた意味づけと方向性」を与える。この役割分担こそが、AI時代に直感を再定義するうえでの出発点になります。
AIが経営者の直感を拡張する
すると、AIは単なる自動化のためのツールではなく、知能を拡張する存在として機能します。
データの処理や計算をAIに委ねることで、人間は創造的で直感的な判断により多くのエネルギーを割くことができるようになるのです。
“Interacting with AI systems requires humans to develop interpretive and reflective capacities — skills that deepen intuitive and creative thinking.”
(AIと相互作用するために、人間の解釈力と省察力の成長が必要になる――つまり直感的かつ創造的な思考を深めるためのスキルである。)[2]
AIとの対話を通じて、人は自らの判断を再考し、無意識の感覚を意識化する機会を得ます。
こうして研ぎ澄まされた直感は、やがて分析を超えて行動を導く勇気へと転化していきます。
AIはその思考の足場となり、経営者が確信をもって一歩を踏み出すためのパートナーとなるのです。
AIを人間の知能の拡張に役立てる存在とする考え方は、実際の経営実務にも広がっています。
- 製品開発では、AIが膨大な市場データを解析し、人間がそこに創造的な意味づけを加えて新しいコンセプトを生み出すでしょう。
- 戦略立案では、AIが因果関係を整理し、人間が全体像を描くストーリーを構築できるようになります。
- 知識労働の教育では、AIとの協働が「自らの直感を言語化し、検証する」訓練になるでしょう。
“Organizations should not merely automate; they should design AI systems that stimulate human reflection, experimentation, and learning.”
(組織は、単に業務を自動化するだけでは不十分だ。人間の省察・試行錯誤・学習を促すようにAIシステムを設計すべきだ。)[2]
つまり、AIは創造性を奪う存在ではなく、人間が直感を磨き続けるための共進化のパートナーとなるのです。
直感は鍛えられる能力である
では、直感はどのようにして訓練すればいいのでしょうか。直感は先天的な才能ではなく、経験、内省、検証を通じて磨くことができるスキルです。論文[1]では、直感の精度は「無意識的な認知プロセスの質」によって決まり、その質は後天的な学習とフィードバックによって高められると述べられています。直感は“なんとなくの感覚”ではなく、“経験の圧縮表現”です。この圧縮の精度を高めるのが、以下の七つの方法です[文献1, p.84–85]。
- 自分の直感を意識し、抑え込まないこと。
直感は無意識に生じるため、そもそも本人が気づかなければ活かすことができません。直感に気づく習慣は、自分の内側で何が起きているかを観察する「メタ認知」を育て、判断の前兆や身体反応を捉える力を強化します。 - 過去の判断を記録し、検証すること。
直感が当たったかどうかを振り返ることで、無意識の判断基準がどのように機能しているかを理解できます。検証という“フィードバック”が加わることで、直感のパターン認識がより精緻化します。 - 他者の視点を取り入れ、偏りを修正すること。
直感は経験の産物である一方、経験には偏りがあります。他者の視点を吸収することで、自分の無意識に潜むバイアスを自覚し、誤ったパターン認識を矯正できます。 - リラックスと内省によって無意識を働かせること。
文献1で強調されるように、直感は“努力して考える”ときよりも、心理的なゆとりがあるときに最もよく働きます。内省や静かな時間が、無意識の情報統合を促進します。 - 直感を言葉や比喩で表現して可視化すること。
言語化は、無意識の情報を意識の領域に引き上げるプロセスです。表現の試みは、自分の直感の構造を理解し、他者と共有できる形にするための重要なステップです。 - 分析で直感の妥当性を確かめること。
直感は必ずしも正しいとは限りません。分析という論理的チェックポイントを設けることで、直感が示す方向が妥当かどうかを検証でき、誤った判断を回避できます。 - 失敗を学びとして蓄積すること。
失敗は直感を形成する最も濃い経験値です。失敗を回避すべきものとして扱うのではなく、無意識に刻み込むべき“負のデータ”として統合することで、直感はさらに精度を増します。
これら7つの実践は、直感に依存するためのものではなく、「直感の情報処理能力そのものを強化するための体系的な訓練」です。直感は入力(経験)・処理(無意識の統合)・出力(判断)というサイクルを経て形成されるため、このサイクルの質を上げることが直感の精度向上につながります。

AIがデータを提供し、人間がそれを直感的に解釈することで、分析と思考の往復運動が生まれます。この往復こそが、直感に必要な「経験の蓄積—意味づけ—検証」という学習プロセスを加速させます。こうしたサイクルを繰り返すことで、経営者は直感に確信を持ち、未知の領域に踏み出す力を磨いていきます。これが、AI時代に求められる「感じて考え、決断するリーダーシップ」の基盤となるのです。
おわりに AIを活用し、感じ・考えるリーダーへ
直感は、経験と身体が生み出す知であり、AIはその知を拡張するパートナーです。
データを読み解く力と、意味を感じ取る力。
この両者を統合し、冷静さと感性のバランスを保ちながら意思決定を行うことが、これからのリーダーに求められます。
AIの進化は、人間の感覚を衰えさせるものではありません。
むしろ、自分の中の直感をより深く理解し、意識的に使いこなす力を磨く機会を与えてくれるでしょう。
一方、これからのビジネスリーダーは、単にデータをもとに最適解を選ぶことではなく、AIの示す無数の可能性の中から、「自社にとっての意味」や「人にとっての価値」を見いだすことが役割になります。
数値の背後にある人間の感情、社会の流れ、文化的な文脈を読み解き、そこに方向性を与える力が求められます。
たとえば、新製品のアイデアをAIが生成したとしても、それを「どんな未来の体験として社会に届けるか」を構想するのは人間の役割です。AIが提供する分析結果はリーダーの直感的洞察を磨くための鏡として機能し、自らの思考を省察するプロセスを通じて、より柔軟で創造的な意思決定が可能になります。
AI時代のリーダーは、データを読む冷静な分析者であり、同時に人の心を感じ取る共感的な構想者でもあります。
綿密な分析を足場に、直感を信じて勇気ある跳躍ができる人。
そうした「AIを活用して感じ・考えるリーダー」が、これからの未来を形づくっていくことになるでしょう。
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