生成AIと日々接していると、時折こんな違和感を覚えたことはないでしょうか?
「それっぽい回答だけど、なんか自分とはちょっとズレてるな…」
「便利だけど、“自分の本心”を理解してくれてる感じはない…」
業務効率化やアイデア出しには頼もしい存在でも、“個としての自分”に寄り添った応答ができるかといえば、まだまだ課題がありますよね。
こうした課題に対し、「人それぞれ異なる価値観」をAIがどこまで再現できるかに挑戦した研究が発表されました。
それが、清華大学などの研究チームによる「ValueSim」という新しい枠組みです。
今回はこの研究をもとに、生成AIが“あなただけの価値観”を学習・シミュレートできる未来について、わかりやすくご紹介します。
出典
- Du, Bangde et al. “ValueSim: Generating Backstories to Model Individual Value Systems.” ArXiv abs/2505.23827 (2025): n. pag.
背景:生成AIの「個別最適化」はなぜ難しい?
現在の生成AI(ChatGPTなど)でも、ある程度の「人格」や「キャラクター」を模倣することは可能です。
たとえば、「内向的な人っぽく話して」「環境問題に関心のある人として答えて」といった指示にはそれなりに応じてくれます。
しかし実際には、
- ユーザーごとの価値観の違い
- 文脈に応じた感情や行動傾向の変化
- 微妙なニュアンスや葛藤
など、“人間らしい多様性”を本当の意味でシミュレートするのは難しいものでした。
これまでの技術では、単に過去の回答データを引っ張ってくる「検索型(RAG)」や、「全プロフィールを詰め込む力技」で対応する手法が中心でしたが、どちらも限界があります。
研究概要:ValueSimが挑んだ「人間らしさ」の再現
ValueSimが画期的なのは、「人の価値観は、その人の過去(人生)から生まれる」という前提に立ち、個人プロフィールから“物語(Backstory)”を生成し、それに基づいて価値観を予測するという点です。
1. 個人プロフィール → 物語(Backstory)へ
たとえば、「性別・年齢・教育歴・政治観・宗教観・幸福観」などの設問データを、ただの表ではなく、“あなたがどんな人生を歩んできたのか”という物語形式に変換。
「あなたは1973年にハンガリーに生まれ…」「家族を大切にし、宗教は信じていないが…」
といったナラティブな文脈を生成し、AIが“人としての一貫性”を把握しやすくします。

2. 心理理論に基づいた「3つの思考回路」
生成した物語は、心理学の「認知・感情・行動」の3系統(CAPS理論)に基づいて解析されます。
- 認知モジュール:論理や信念に基づく思考
- 感情モジュール:価値観や感情の反応
- 行動モジュール:実際の行動傾向や環境的制約
これらが並列的に稼働し、それぞれの視点から「この人ならどう答えるか?」を推定します。
3. 最終的な応答を統合
3つの視点から出た分析を統合し、「この人らしい回答はこれ」と一つの結論を導き出すのがValueSimの全体構造です。
実験結果:どれだけ“人間らしく”なったのか?
ValueSimは、世界価値観調査(World Values Survey)のデータ97,220人分を用いて検証されました。世界価値観調査(WVS:World Values Survey)は 年齢、性別、宗教観、政治観、生活満足度、社会信頼感など290項目のプロフィール情報から構成されています。
これらの情報から「この人ならこの質問にどう答えるか?」を以下の3パターンで予測させ、実際の回答と比較しました。
「全情報ぶち込み型」:全プロフィールをそのまま渡して答えさせる
「検索型AI(RAG)」:関連しそうな3項目だけを渡して答えさせる
「ValueSim」:ストーリー+3モジュール分析+統合予測をして答えさせる
その結果、
- 一般的な「検索型AI(RAG)」や「全情報ぶち込み型」よりも10%以上高い精度で、個人の価値観を再現
- 特に「幸福感」「社会的判断」など、主観性の強い分野での効果が顕著
- ユーザー情報が増えるごとに応答精度がなめらかに向上(ただし100項目前後で頭打ち)
など、非常に興味深い成果が示されました。
実務への応用:AIと“価値観で対話”する未来へ
この技術、ビジネスの現場ではどんな可能性を秘めているのでしょうか?
1. パーソナライズAIの進化
たとえば社員支援AIやメンタルケアボットが、単なる定型応答ではなく「この人の価値観なら、こう寄り添うはず」と応答できるようになれば、信頼感と没入感が飛躍的に高まります。
2. ユーザーインサイトの精密化
マーケティングやUXリサーチでも、単なる属性分析ではなく「価値観に基づく行動予測」が可能に。顧客を“群”ではなく“人”として見る視点が得られます。
3. 社会実験・政策シミュレーション
「特定の価値観を持った人が、ある政策にどう反応するか」などの社会的影響のシミュレーションも、より人間らしい前提で行える可能性があります。
注意点とこれからの課題
もちろん、まだ課題もあります。
- ストーリー生成の“自然さ”と“忠実さ”の両立
- 情報のプライバシー保護と倫理的リスク
- “人を模倣する”ことの意義と限界
といった点は、今後の実装・社会利用に向けて慎重な設計が必要です。
まとめ:生成AIと“価値観の対話”ができる世界へ
生成AIに「人間らしさ」を求める動きは加速しています。
ValueSimはその中でも、「人は“過去の物語”によって価値観が形成される」という本質に着目し、“個人”を理解するAIの可能性を示してくれました。
職場でも、AIとともに働く場面が増えていく中で、「私の価値観をわかってくれるAI」との共存は、意外と身近な未来かもしれません。
あなたなら、このAIにどんな“自分の物語”を託してみたいですか?
もっと深く学び、実践したい方へ
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