「最近、なんとなく仕事に集中できない」「出勤はしているけれど、やる気が出ない」——そんな感覚を覚えたことのある人も多いのではないでしょうか。職場でのメンタルヘルス問題は決して他人事ではありません。厚生労働省の調査によると、約80%もの働き手が「仕事に関する不安やストレス」を感じており、その多くが我慢して出社を続けることでケアの機会を失っています。こうした“隠れたコスト”として注目されるのが、プレゼンティーイズム(体調不良を抱えたまま出勤し、生産性が低下する状態)とアブセンティーイズム(病気やメンタル不調で欠勤する状態)です。
企業が目先の医療費だけに注目するあまり、これらの生産性損失を見落としがちですが、実は医療費の何倍もの損失が発生しているケースもあります。本記事では、横浜市立大学らの大規模調査をもとに、職場メンタルヘルス対策の現状と、私たち社員一人ひとりができることをわかりやすく解説します。
出典
- Hara, Koji PhD1; Nagata, Tomohisa PhD, MD2; Matoba, Masaaki PhD3; Miyazaki, Tomoyuki PhD, MD4. The impact of productivity loss from presenteeism and absenteeism on mental health in Japan. Journal of Occupational and Environmental Medicine ():10.1097/JOM.0000000000003431, May 28, 2025. | DOI: 10.1097/JOM.0000000000003431
そもそも「プレゼンティーズム」とは?
みなさんは 「プレゼンティーズム(Presenteeism)」 という言葉を耳にしたことがありますか?
- アブセンティーズム(Absenteeism) … 体調不良などで仕事を休むこと
- プレゼンティーズム(Presenteeism) … 出勤はしているが、心身の不調で十分なパフォーマンスが発揮できていない状態
つまり、プレゼンティーズムとは、職場には「出勤している」にもかかわらず、「十分な力が発揮できていない」状態を指します。
実はこのプレゼンティーズムこそが、企業の生産性において非常に大きな「隠れコスト」になっているのです。
調査概要:日本全国27,507人にアンケート
今回の研究では、全国の労働者 27,507人 を対象に、以下のような大規模インターネット調査が行われました。
- 対象:20歳以上の働く男女(性別・年齢・地域で日本の人口構成に合わせて抽出)
- 調査内容:
- メンタルヘルス状態(抑うつ、不安、不眠、慢性疲労など)
- 症状がある期間の仕事の量・質の自己評価(0〜10点)
- 直近30日間の症状日数
- 直近1年間の病欠日数
睡眠障害も含め、メンタルヘルス不調に該当する人を抽出し、全国の人口統計と平均賃金、労働参加率などの公的データと組み合わせて、経済損失額を試算しました。
調査結果:試算結果
経済損失の規模
項目 | 金額 (米ドル換算) |
---|---|
プレゼンティーズム損失 | 約467億ドル(約7兆3,000億円) |
アブセンティーズム損失 | 約18.5億ドル(約2,900億円) |
合計 | 日本のGDPの約1.1%に相当 |
特に注目すべきはプレゼンティーズムの大きさです。この損失額は、実に医療費の約7倍にも達します。不調を抱えながら出勤している従業員による、生産性の低下が主な原因です。
性別・年代別の特徴
- 20代女性のメンタル不調率は男性の1.7倍
- プレゼンティーズム日数は、40代男性(年間145日)、30代女性(年間132日)が最多
- アブセンティーズム(病欠)は全年代で5日前後と比較的少なめ
つまり、日本の職場では「休まずに出勤してしまう」傾向が色濃く出ています。これがプレゼンティーズムの膨大な損失につながっているのです。

日本特有の背景:なぜここまでプレゼンティーズムが深刻なのか?
本研究では、海外と比較しても日本のプレゼンティーズム比率が極端に高いことが指摘されています。
- 海外ではプレゼンティーズム:アブセンティーズム比が5〜10倍
- 日本では約25倍
要因としては、
- 休みづらい職場文化
- 他者への迷惑を避ける気遣い
- 業務の属人化・代替要員の不足
- 雇用不安定・管理職のマネジメント力不足
などが挙げられています
企業・政府に求められる3つの対応策
本研究では、Deadyらの「Protect・Promote・Respond」フレームワークを紹介しています
項目 | 内容 |
---|---|
Protect | ハラスメント防止、ストレスチェック制度など(日本でも導入済) |
Promote | ウェルビーイング促進、働きやすい職場づくり(まだ不十分) |
Respond | 早期介入・治療支援・職場復帰支援(特に課題多い) |
特に Promote(予防・促進)とRespond(支援・回復) の強化が、今後の日本の重要な課題と言えます。
一人ひとりができることもある
企業の制度改善はもちろん必要ですが、私たち一人ひとりにもできることがあります。
- 不調を無理に抱え込まない
- 同僚の異変に気づいたら声をかける
- 休むことに罪悪感を持たない
- 日常的なセルフケア(運動・睡眠・趣味など)を大切にする
「出社することが美徳」とされた時代から、「健康に働くことが成果につながる」という意識改革が求められています。
まとめ
今回の研究は、日本企業における「目に見えない生産性損失」の実態を初めて全国規模で明らかにしました。
- メンタル不調による損失は GDPの1.1%
- プレゼンティーズムが圧倒的な課題
- 20代女性のリスクが高い
- 企業文化とマネジメントがカギを握る
職場の「健康経営」や「ウェルビーイング経営」は、決して贅沢な取り組みではありません。社員一人ひとりの心身の安定こそが、日本経済全体の底力につながるのです。
もっと深く学び、実践したい方へ
このコラムでご紹介したような知見を、第一線の研究者と共に深く学べる研修を開催しています。
講師は、フロー理論や心の資本など、国内外の研究者と共同研究を行ってきた矢野和男が務めます。バラバラに見える心理学的知見を、ウェルビーイングという軸で整理し直すことで、職場や組織に新たな視点が生まれます。
そして、プログラムで得た知見や参加者同士のワークショップを通じて、組織のウェルビーイングリーダーとしてのマインドセットを磨いていただきます。学びを現場へと活かし、組織内のウェルビーイング実践にご興味のある方は、ぜひ参加をご検討ください。
